後悔と…いくつかの良かったこと。
2018年 01月 26日
読むのも辛いような最期の様子を
読んでくださってありがとうございました。
私もこの数日、また涙が止まらない状態になっております。笑
でも、きちんと記録しておきたかったのです。
私が愛したこの子たちのことを、最後まできちんと。
ロイスは長いこと闘病していたので覚悟はできていたし
十分に介護してやれたので、後悔はほとんどなかったけれど・・・
ソフィーの場合はあまりにも突然だったので
やはり後悔が残ってしまいます。
もっと早く病気に気づいてやれなかったのか、とか。
朝の痙攣の時点で、夜間救急でもなんでもいいから
もっと早く病院に連れて行っていたら
命だけでも助かったのではないか、とか・・・
でもソフィー自身がああいう逝き方を選んだのかもしれません。
後遺症が残っても生き続けるなんて、望まなかったのかも。
とにかく全力で動き回っていないと生きていけないマグロでしたから。笑
(頂いたお花は、まだたくさん咲き残っています)
そんな後悔をわずかに抱えながらも、
今回のお別れで良かったと思えることは、いくつかあります。
1つ目は、Dr.Sに最後まで診ていただけたこと。
1日早かったら、先生がお休みの日だったのです。
長年、我が家の犬たちを診てくださって、各々の性格までも
わかってくださっていて、母が全幅の信頼を寄せているDr.S。
優しい誠実な先生に、最後まで手を尽くしていただけて本当に良かった。
出ました、変顔。笑
2つ目は、最後に(娘以外の)家族みんなに会えて
お家に帰ってこれたこと。
これはもう、ソフィーの頑張りとしか思えないのですが。
不思議ですね。すごいですよね。
ロイスもソフィーも、ちゃんと家族がいる時を選んで
旅立ってくれたんですもの。
ほんとに、そうとしか思えないよね。
3つ目は、穏やかに逝けたこと。
明け方からの激しい痙攣は別として、
最後は車の中でちょっと息苦しそうな場面があったものの
それもわずかの時間で。。。
ソフィーもロイスと同じく、え?もう息が止まってるの?と
すぐにはわからないくらい、静かな最期でした。
愛するこの子たちが苦しむ姿を、母さん見たくなかったから。
良かった。本当に良かった。
亡くなった翌日のアニマルコミュニケーションで、
ソフィーはそう伝えてくれました。
そして最後は・・・母の腕の中で逝ってくれたこと。
ロイスの時は、抱っこなんてしてやれなかったし、
逝く瞬間、「ありがとう」と言ってやれる暇もなかった。
もっとも、介護の間にいつもたくさん話しかけて
「ありがとう」も「大好きだよ」も、
十分すぎるほど伝えたんですけどね。
だから、次にアルかソフィーが亡くなる時は
ちゃんと抱っこして、最期の瞬間まで話しかけてあげたかった。
その望みを、ちゃんと叶えてくれたのです。
でもね、これはあくまでもソフィーの場合です。
犬たちはちゃんと、自分の逝き方を選んでいるんだと思います。
どんな逝き方であろうとも、そこには何か意味があるんだと思います…
十分介護をさせてくれたロイスと、
あっという間に逝ってしまったソフィー。
どちらの別れ方が良かった、なんて言えません。
どちらも、別の辛さ、悲しさがあった。
死にゆくロイスの介護は、精神的に本当に辛かったし、
あっという間にソフィーが逝ってしまった時のショックと悲しみは
ロイスの時とは比べ物にならないほどだった。
奇しくも両方を経験させてもらった母は
犬たちに魂の修行をさせてもらったのかな、
などと思う日々なのです。
ロイスとソフィーのために
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いつもありがとうございます♪(´∀`)
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すべてが必然だと思うのです。
ロイス君の逝き方も、ソフィーちゃんの逝き方も。
最後までくろ母さんの信頼する先生に診てもらえたこと、ご家族のそろっているときを選ぶように逝ったこと…。
じっくりお別れができたロイス君も、あっという間に逝ってしまったソフィーちゃんも。
考えると二人とも、いかにも、らしいな、と。
だから、悲しむなとはもちろん言いませんが、後悔はほんのちょっとにしてくださいね。
それぞれが選んだ逝き方のはずなので。
二人とも、とっても頑張ったと思います。
もちろん、くろ母さんとご家族の皆さんも。
必然・・・そうかもしれませんね。
クリスチャンの私たちに言わせると、すべては「神さまのご計画」ということになるのですが・・・
ふふ、ほんとに「らしい」ですよね。ロイスもソフィーも。
はい、ありがとうございます、後悔はほんのちょっぴりにしておきます。
後悔する母を、ロイスもソフィーも見たくはないですもんね、きっと。